月の兎（うさぎ）の逸話

うららかな春の日、あたりは一面の菜の花畑です。
良寛さんは、きょうも里の子どもたちと、まりつきや、かくれんぼに遊び興じていました。

「良寛さま、面白いお話をしてよ」

遊び疲れた良寛さんが、れんげやたんぽぽの咲き乱れる草っ原に腰を下ろしますと、子どもたちも傍らに寝そべってお話をせがみました。

「よーし、それでは・・・」

良寛さんは話し始めました。子どもたちは、手を叩いて喜びました。

　むかしむかし、とおい天竺（インド）の山奥の林の中に、猿と狐と兎が住んでいたのじゃ。
　この三匹のけだものは、とても親切で､本当に仲良く暮らしていたのじゃ。

　そのことを耳にした天の神様（帝釈天※）は、
　「感心なことじゃが、本当に親切で仲が良いのか、ひとつ試してみよう」
　と、お思いになって、みすぼらしい、よぼよぼのお爺さんの姿になって林の中へ入っていったのじゃ。

　哀れなお爺さんの姿を見つけた、けだものたちは、すぐにそばへ走ってきたのじゃ。
　「みなさん、私はきのうから何も食べていません。すまないが、何か食べ物を恵んでくださらぬかのう」
　お爺さんは木の根っこに腰を下ろして、力のない声でこう頼んだのじゃ。

　それを聞いた仲間たちは、互いに目で合図をしたかと思うと、すぐに林の奥へ駆けていったのじゃ。
　しばらくすると、猿はおいしい木の実をたくさん採ってきて、お爺さんに食べさせたのじゃ。
　狐は、ずっと向こうの谷川から、大きな魚を獲ってきて差し出したのじゃ。

　ところが、兎は、おいしいものをお爺さんに食べさせたいと思って、
　あちらこちらを駆け回って探しまわったのじゃが、とうとう何も見つけることができなかったのじゃ。

　兎はしょんぼりと戻ってきて、しばらく考えてから猿に向かって言ったのじゃ。
　「猿くん、すまないが、焚き木を集めてきてくれないかね」
　「よしきた！」猿は早速、枯れ枝をたくさん抱えてきて、兎の目の前に積み上げたのじゃ。

　すると、こんどは狐に向かって頼んだのじゃ。
　「狐くん、お願いだから、火打石を拾ってきておくれ」
　「よーしきた！」狐はすぐに林の向こうへ走っていったかと思うと、
　きれいな火打石を持って帰ってきたのじゃ。

　兎はまた言ったのじゃ。
　「狐くん、ありがとう。何度もすまないが、この焚き木に火をつけてくれないかね」
　「はいよ！」狐がカチカチと火打石を摺り合わせて火をつけると、焚き木は、ぼーっと燃え出したのじゃ。

　そのとき、兎はなあ、

　「お気の毒な旅のお爺さん、私は猿くんのように木に登ることができません。
　　狐くんのように泳ぐこともできません。私は、何にも差し上げることができないのです。
　　けれども、幸い私の肉はおいしいので、この私の体を食べてください」

　こう言ったかと思うと、兎は燃え盛る火の中に、さっと跳び込んで、
　あっという間に焼け死んでしまったのじゃ。

　猿も狐も、びっくり仰天。突然、友を失ったあまりの悲しさに、大声をあげて泣き出したのじゃ。

　そのとき、みすぼらしいお爺さんは、急に立派な神様の姿に戻ったのじゃ。

　神様は、火の中の焼けただれた兎を優しく抱き上げて、
　目に涙をたたえながら、静かにおっしゃったのじゃ。

　「お前は、ほんとに親切な子じゃのう。さあ、私と一緒に天へ昇ろう。
　　自分の体を焼いてまで、私に食べさせてくれようとした気持ちは、なにものにも代えがたいものじゃ。
　　きっと生き返り、永遠の命をえて、これからもずっと万物を照らし続けるであろう」

　神様は、今度は猿と狐に向かっておっしゃったのじゃ。

　「お前たちも、友だち思いの感心な子どもたちじゃ。
　　兎がいなくなっても変わらずに、いつまでも仲良く助け合って暮らすのじゃぞ」

　こう言い終わると、天の神様は、兎をしっかり抱きしめて、月のご殿へ昇っていかれたのじゃ。
　猿と狐は、泣きながら、いつまでも空のかなたを見まもっていたのじゃ。

　その晩から、お月様の中に、お餅をついている兎の姿が見えるようになったということじゃよ。

いつのまにか良寛さんは、涙で声がうるんでいました。子どもたちも、かわいい手で目を押えて泣いていました。

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※帝釈天：元々はヒンドゥー教のインドラという神であったが、後に仏教に取入れられたもの。
　　　　　東方を守る神とされ、世界一高い山である須弥山に住むと云われる。
参考：素人学者の譫言