世の中、便利になった。寒い朝には、ひねればお湯が出る。夜中にオニギリが食べたければ開いている店がある。どこにいても携帯電話で話が出来る。夢のような世界だ。でも、どこか物足りない。この便利さと引き換えに姿を消してしまったモノたちのことを書いてみた。

東海道新幹線に乗る楽しみは三つあった。一つはビールを飲むこと。もう一つは晴れた日に富士山を眺めること。そして、最後の一つが新幹線のおいしい 水を飲むことだった。修学旅行で京都に行くために始めて新幹線に乗った。電車の中で騒いで喉が乾くと飲料水をごくごく飲んだ。折りたたんだ紙の容器を開い て、ボタンを押すと水が出てくる。注ぐとひんやりと手に冷たさが伝わってくる。

就職して、大阪に度々出張することになった。帰りは、同僚たちとよくビールを飲んだ。ある時、ひとりが、新幹線の飲料水で割ると旨いということを言 いだした。ウイスキーの小さなボトルを買い、水割りにして飲んでみた。確かに旨かった。それから、新幹線の水の愛好者になった。飲みすぎた後などに飲むと 実に旨い。紙の容器は小さいので何杯でも飲めた。

新幹線が開通したのは、東京オリンピックの年だと記憶している。世界中の人たちが日本に来る。新幹線は、戦後の経済復興の証と日本の技術力の高さを 示すための外交戦略上の要だった。新幹線の水は、訪れる人に日本のうまい水を飲んでもらうために厳選された富士山の湧き水を使っているということを聞いて 大いに納得した。こんな旨い水が無料で飲める日本はいいなあと思った。

「こだま」から始まった新幹線は「ひかり」、「のぞみ」というラインナップが加わって、形もずいぶん洗練されてきた。座席もゆったりして、日本で一 番快適で安全な乗り物と言われるようになった。ある時、トイレにたったついでに水を飲もうと紙の容器のある飲料水を捜した。いくつか車両を捜してみたが、 ついに見つからなかった。新幹線のうまい水は姿を消していた。

JRが飲料水を廃止した理由を考えると、一つはコストの問題、飲料水を無くしても、運行上何の問題もない。それなら、無駄なコストは削減しようと言 うこと。もう一つは、JRの清涼飲料販売部からの圧力。JRは水を商品として売っているからだ。新幹線の中で美味しい水がタダで飲めるなら、だれもペット ボトルに入った水にお金を出して買わないだろう。

日本は自然が豊かで降水量も多い。日本において水はそれほどの貴重品ではないはずだ。欧米では、良い水が簡単に入手しにくいので商品価値がある。こ れほど豊富な水に恵まれた日本で水を買う必要があるのだろうか。新幹線のうまい水を観光の目玉として、庶民の小さな楽しみとしてもう一度復活させて欲しい ものだ。

オウム真理教の事件以来、ゴミバコが、ドンドン姿を消している。電車のホームにはほとんどない。自動販売機で飲み物を買って缶を捨てようと思っても 回収するゴミバコが置いてない。最近は、公園のゴミバコが撤去され始めた。この前、子供たちと缶蹴りをやろうと言ってゴミバコを捜したがどこにもなかっ た。外出先で出たごみを捨てるためにゴミバコを捜して結局見つからずに家まで持ちかえることもしばしばだ。

撤去の理由は、安全の確保とごみの回収コスト削減ということらしい。市民にとってはサービス低下も甚だしい。我々の定期代や税金にはゴミバコのごみ を捨てるコストさえも含まれていないのか。僕の小さい頃は、駅には、ゴミバコは当然、タンツボまで置いてあった。公園だけでなく、色々なところにゴミバコ があった。

江戸の町は、玉砂利が轢いてあって、きれいだったそうだ。ゴミバコがなくなっても自分たちの町を気持良く保ちたいと言う心は忘れないようにしたい。

昔の郵便ポストは、郵便配達のおじさんの帽子の形をした鋳物で出来た愛嬌のある頑丈な置物だった。誰が見ても郵便ポストである。しかし、最近のポストは四角い赤い箱になってしまった。郵便のマークがついているのでそれと分かるが、面白くもなんともない。

郵便ポストを採用するときの会議に出たわけではないが想像するに、色々なデザインのものが検討されるのだろう。何人かの評議員が採点表を持って チェックし、総得点の高いものが選ばれるというような公正なやり方なのだろう。その時、このデザイン、面白いからこれにしようよ、なんていうことにはなら ないのだろうか。

かつて、ユーモラスな帽子型の郵便ポストが採用された時代もあった。時代が変わっても、面白いという、遊び心は持ちたいものだ。

僕は、長靴を持っていない。会社に行くのに長靴は全く必要ないからだ。長靴を履いていた記憶は中学校くらいまでだ。雨が降れば必需品だった。舗装さ れていない道は、雨が降るとそこら中に水たまりが出来た。長靴を履いてばしゃばしゃ入るのが楽しかった。夜は、道が暗いので懐中電灯で照らして光ったとこ ろを避けて歩いた。

ある時、至るところで道路工事が始まった。日本列島改造論が出たときだ。山は崩されて次々と宅地になった。小さい川にはU字溝が入って埋められた。 道はアスファルトで舗装された。どんどん自然が無くなっていった。町の景観が一変した。今まで、土と草に覆われていた道が、灰色のアスファルトに変わっ た。確かに、雨の日でも靴が汚れなくなった。夜道も安心して歩けるようになった。

日本人は昔から自然と共存してきた。自然に生活を適合させてきた。長靴は自然から足を守ろうという発想だ。逆にアスファルトの道は自然を征服すると いう欧米人の考え方だ。滅んでしまったインダスやメソポタミアは整然とした石造りの都市だ。人も自然の一部だという謙虚さを忘れてはならないと思う。

小さい頃通っていた学習塾や病院など、子供が集まるところには、小さい子向けの本が必ず置いてあった。エジソンや野口英世などの伝記ものが多かっ た。その中に二宮金次郎の本もあった。ランプの油が買えなくて、月の明かりで勉強して立派な学者になった。ああいう人になりなさいと良く言われた。金次郎 は当時の子供たちの理想像だった。どの小学校にも金次郎が薪を背負って本を読む像があった。

最近、その像を見かけることが無くなった。努力とか我慢という言葉は聞かなくなった。この前、娘の小学校の入学式に行ったら、校長先生がウサギと亀 の話をしていた。怠け者のウサギと努力家の亀、どっちが偉いかという話だった。先生の結論は、両方ともゴールしたのだから、どちらも偉いと言うものだっ た。ちょっと違うんじゃないかと思った。これが、ゆとり教育と言われているものかと思った。

戦後教育は、言われたことを忠実に実行できる真面目な学生たちを養成してきた。僕たちも日本は資源がないから知恵を絞って原材料を加工して輸出する 工業を発展させなければならないと教えられてきた。質の良い工業製品をつくるためには、指示されたことを間違わないでコツコツ努力する人材が必要だった。 欧米の製造部門として品質の良い製品を生産することが国の使命だった。日本は、こういう真面目な人材を養成してきた。

２１世紀の現在、日本にはモノが溢れるようになった。自動車、携帯、テレビ、パソコン、電子レンジなど、何でも手に入る。しかし、構造的な不況が続 いている。その原因は、欧米の模倣の失敗と言われている。中国やシンガポール、ベトナムというアジアの新興先進諸国がかつての日本と同じ戦略で成功をモノ にし始めた。人件費の安さで日本の中小企業は苦境に立たされ始めた。

その反省がゆとり教育と言うモノらしい。個性尊重は良い。子供たちには自由に発想してもらいたい。しかし、だからと言って、日本人のアイデンティ ティを否定することはないと思う。農耕民族として始まった日本は、聖徳太子の和を尊ぶという基本精神の元に、コツコツ努力する民族としてここまで生き残っ てきた。真面目、努力を美徳にしてきた日本人から、この特質を取り去ったら何が残るか。ゆとり教育は、また表面的な欧米の模倣をしているように思えてなら ない。二宮金次郎にもう一度復活してもらいたい。

家に始めて電話が来たときのことは覚えている。玄関を入った土間の横の８畳間に置かれた。木で出来た貯金箱のような物も置いてあった。この場所が選 ばれた理由は、近所の人が使いに来るからだ。横の貯金箱は、通話料の１０円を入れるためだ。社交家のおばあさんは、居ながらにして、いろんな人と話が出来 るということを知ると、電話が大好きになった。がらんとした８畳間にちょこんと座って電話がなるのを待っていた。何か贈り物を貰うと震える手でダイヤルを 回してお礼の電話をかけていたのを思いだす。

当時の電話は、丸っこい６号電話だったという記憶がある。当時の電電公社は、電話事業を独占していて、今のようにどこででも買えると言う物ではな かった。電話を分解してみて分かったことは、中の部品が非常にシンプルに出来ているということだった。デザイン的にも無駄がなく、しかも、頑丈に出来てい た。電電公社には電電ファミリーという民間会社を何社か抱えており、その会社が電話の設計、製造を請け負っていた。

その電電公社が民営化され、NTTというモダンな名前になった。電話のビジネスは開放され、ファミリー以外の会社が参入してきた。今までオーディオ や家電を作っていたソニーや松下という会社が電話事業に乗りだした。威厳をもった黒電話は外され、おしゃれなデザインの電話が安い価格で大量に出まわっ た。電電公社の傘の下の電電ファミリーが作っていた真面目だけが取り得の黒電話は、姿を消した。