私は銭湯が好きだ。内風呂があるので度々は行けないが、月に１、２度行くのを楽しみにしている。大きく深い湯槽にたっぷりの練れた湯に、全身を浸すと心までが温まる。内風呂では味わえない銭湯ならではの楽しみである。

先日も、出かけて、いつものように湯槽に浸かって居るとき、一人の青年が湯から上がり、身体を拭き始めた。その動きに私は見とれてしまった。上半身から下半身を周囲に湯玉を飛ばして迷惑にならないように、手ぬぐいを固く絞っては順序良く手早く拭いていく。身体から一滴の湯も残さず拭き終わりました。

その動きは、無駄の無い、舞の芸を見るように美しいとさえ云える所作でした。そして、今まで使っていた、腰かけに桶で湯を掛けてぬぐいで拭き続いてその桶にも湯を入れ中を綺麗にふき、腰かけに桶を伏せて重ねて入り口近くの所定の場所にきちんと戻し、そして始めて会った私に軽く、会釈をして行くではないか。

今までに、銭湯と言う公衆の場で、次に使う人が気持ち良く使えるようにする心配りを、大人でもなかなか出来ないのに、こんなにも爽やかに、さりげなくやれる素敵な若者に出会ったことに、驚きと感銘を覚えました。湯から上がって彼が帰ってから番台のおかみさんに、彼のことを訊ねた。

元自衛官で、今は除隊して地元でタクシーの運転手をしているが、気配りが出来て、親切で、地域の年寄りから信頼され指名される人気者だと聞かされた。さもありなん、かれの行動態度でお客に接すれば、誰でも贔屓したくなると思う。自分勝手な行動で、迷惑をかけ平気でいる人を目にする昨今、こんな相手の立場を大切に考えることのできる若者と出会え感動し、同時に自分の日頃の行動を反省させられた銭湯の夜の出会いだった。

それから、１ヶ月ほどたった日の早朝、四時台のNHKラジオ「心の時代」の番組で、越川禮子と言う方が「江戸しぐさ」と題して、とても良い話をされているのを聞き、もっと詳しく知りたいと思い、インターネットで調べ、著書があることを知り、早速注文し取り寄せて読み始めたら止められず、一気に読んだ。内容の素晴らしいこと、人が人と関わって生活していくための知恵が一杯詰まった本だ。先ず読んでください。そして、他の人にも薦めてください。この本から学んで、心豊かになり実践する人が増えていけば社会は潤いと思いやりに満ちた素敵な環境に変革されていくと思います。

著書の中に、「銭湯のつき合い」の文章があり、公衆の風呂の入り方を読み、その中に「後から使う人の身になれば、桶はさっとゆすいで伏せておくのが礼儀。生ぬるい湯が桶に残っていたら、次に使う人は、不潔感を覚え、どんなにか不愉快な思いをするかもしれない。云々」という文章がある。彼のやったことは、正に「江戸しぐさ」を見事に実践して見せてくれたわけです。旅先の温泉宿の大浴場でも足と下半身に掛け湯もせず、そのまま湯に入る、五十代、六十代のおじん達がいるのには驚く。若者が私に見せてくれた自然な振る舞いこそ、他人と共生するために必要な知恵なのだということを、改めて知らしめてくれたのが、「江戸しぐさ」である。

平成十五年四月四日記