靴を見れば、その人の人生が分かると、タイムマシンなどを書いたウエルズが言っている。パパラギに は、文明人が靴を発明したばっかりに、足の形が変形して嫌な臭いがするようになったと靴無用論を説いている。かつて日本には足全体を覆う今のような靴はな かった。下駄や草履は風通しが良く、日本の気候風土に合った履物だった。欧米人が履いている皮靴を見たとき日本人はカルチャーショックと共に劣等感を感じ た。黒光りする皮靴に畏敬の念さえ覚えたのではないだろうか。靴が汚れている人は、出世できないという説もある。確かに社長や大臣の靴はピカピカに磨かれ ている。現代社会にとって、靴は一つのステータスになっているからだ。だからと言って、靴をピカピカに磨いてさえいれば出世できるという保証はないのだ が．．．。

さて、今日も忙しい一日が始まった。６時半に目覚ましがなる。すぐに起きずに布団の中でもぞもぞして いる。デジタル時計の数字が変わったら起きようと何度も試みる。結局、ぎりぎりまで布団のなかにいることになる。その時間が６時５５分。それなら、この時 間に目覚ましを仕掛けておけば良いようなものだが、そうはいかない。しぶしぶ起きると隣に寝ている娘も気配を感じて目をさます。トイレに入って着替えると ７時を過ぎる。妻は、もう子供たちの朝ご飯の仕度を終えている。食べる時間が無いので作ってもらったトーストを会社にもって行くことにしている。7時７分 には家を出ている。

月曜日の朝は、ごみを出す日だ。ごみの日は、月、水、金に決まっている。土曜日は缶とビンの日であ る。ごみ出しは私の仕事になっている。今日もごみ袋の頭を縛って、ごみ置き場に放り投げた。網をかぶせるのを忘れるとカラスの大宴会が始まるので、この網 掛けの作業はかなり重要だ。そのごみ置き場の前の道でいつも、同じ時間にすれ違う人がいる。名前も住んでいるところも知らないが、かなり昔から顔だけは 知っている。長い間会社勤めをやっているとそんな知りあいも増えてくる。今日は、先を越されたので少し急がねばならなかった。左の靴の履き具合が良くな い、ちゃんと履けていないのだろう、と思った。バス停まで足元に違和感を感じながら走った。

すぐにバスは来た。比較的空いていたので中ほどの席に座った。左の靴を履き変えてみようと思い靴を見 た。靴はちゃんと履けている。右の靴を見た。こちらも良いようだ。そこで、目を疑った。大変な事実に気が付いた。右と左の靴が違っていたのだ。昨日の夜 に、暗がりで靴を片付けたときに間違えたらしい。朝のごみ捨ての忙しさでそんなことも気づかなかったのだ。左の靴は、典型的なウォーキングシューズ、右の はオーソドックスな紳士靴である。何と言うミスマッチ。カーと顔が赤くなるのを感じた。家に靴を履きかえったのでは、遅刻は避けられない。でも、この靴の まま一日を過ごすのは勇気がいる。スーツできめているサラリーマンが左右違った靴を履いている。これは滑稽だ。しかし、こんなことで家に戻るのは癪だ。こ のまま会社に行くことにした。バスは駅にまっしぐらに進んでいた。もう後戻りはできかった。

電車は出来るだけ混んでいるところを選んだ。そのほうが靴が目立たないと思った。道は出来るだけ端っ こを歩いた。片方から見れば左右が違っていると気づかないだろうと思った。東西線で座れたが足が組めなかった。駅から会社まで目を伏せて歩いた。知ってい る人に会わないことを祈った。席に付いてすぐにスリッパに履き代えたらふうっと大きな息が出た。長い旅が一つ終わったという感じだった。昼休み、早めに飯 を食べて、近くのデパートに靴を買いに言った。予期せぬ出費だが、人の目を気にして過ごすよりよっぽど良いと思った。靴売り場には店員がいないので助かっ た。トイレの中で履き代えて左右揃った靴を履いて町を歩くとようやく社会の一員に戻れたような感じがした。

このことがあってから、電車の中などで気を付けて前に座っている人の靴を見ることにしている。しかし、今のところ、左右違う靴を履いた人にであったことはない。

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